アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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Photo No.372 / あまりよくない

フジカハーフにて撮影 モノクロ 自家現像

FUJICA Half 28mm F2.8

こんばんは。今日も一日お疲れ様でした

結局、今日は午前中にちょっとカメラを持ってウォーキングに出て、帰ってきてからコーヒーの焙煎をしただけでした(明日飲むぶん)

特に何もできず、ただ時間が流れるのを待つだけの一日

今の自分の状況を考えると、やはり病気を少しでも治すために休養をしっかりとる、ということを第一に考えなければいけないのだろうな

できるだけ休むこと、余計なことを考えない、を心がけて過ごすしかない。でもどこまでそれができるんだろう。今までもそうしようと考えていたはずなのに、結局できていなくて苦しんでいるじゃないか

かつて自殺未遂をしたとき、身の回りのことでいろいろ助けてくれた友人がいます。彼から久しぶりにLINEが来ました。実は良くない知らせでした

基本こちらから連絡を取ることもなく、向こうも頻繁に連絡をしてくるような間柄ではなかったのですが、久しぶりの連絡だから何かと思ったら、入院している、ということでした。どこかケガしたのか、病気したのか、と思ったら、自分と同じ心の病でした

彼が心の病を抱えているのはもちろん知っていました。というか、それで知り合ったようなものなので。彼がどうしているのかは気になりつつも連絡はしていませんでした

彼は今、辛い状況なのだ

自分だけじゃない。辛いのは自分だけじゃない

彼が今置かれている状況を、自分は知りません。知っているのは心の病で入院している、ということだけ

自分も入院は考えたけれど、できなかった。できなかったけれど、その代わりに自宅でしっかり休むと決めたはずだった。なのに余計なことを考えてぐるぐるしてしまって、状態が好転することはあまりなくて、辛かった

でも、彼の現状を思う時、どれほど辛いだろうかと胸が痛くなる。辛さ、なんてものは数値化できるわけじゃないし、どっちが辛いとか、そんなふうに測れるものじゃありません。でもきっと、今の自分より辛い思いをしているんじゃないか、と思いました

50を過ぎて何もできない、病気で精神状態が不安定な今、いきなり現状を変えるなんて無理です。「かつていろいろバリバリとできていた自分」という「幻想」を持ち続けているから、いつまでたってもぐるぐると余計なマイナスな事を考えてばかりになっているんじゃないか、と思いました

年齢なんて関係ない。自分は病気なんだ。病気なんだからできないことが多くて当たり前だし、むしろ治療しながら何かをできるなら、B型就労支援だろうと単発のバイトだろうと内職だろうと、何かできることを一歩ずつ少しずつ、自分の心の様子をみながらやっていくしかないんだ

過去は変えられない。変えられるのは未来だけ。今のままでは何もできていない自分だけど、一歩ずつ、就労支援を受けたりしながらなら、何かその先にできることが待っているかもしれない。もちろん出来ることなんてないのかもしれない。それでも、今もやもやと不安感と焦燥感でいっぱいになってイライラしているよりも、ずっと健全なんじゃないか、と思いました

そのための第一歩は、やっぱり「余計なマイナスなことをできるだけ考えないでしっかり休む」こと。何のための生保受給期間なのか、それは少しずつでも病気を治していく、いろいろ立て直していくためじゃないか、と今更ながら考えられるようになってきました

そういう心構えで毎日を過ごせるようにすること

それが今の自分の目標です

●今日のメンタルポイント

行動力30点。ほとんど何もしていない。コーヒーの焙煎くらいしかしていない。ウォーキングといっても30分程度。精神面30点。今日も不安感・焦燥感が強く、動悸とめまいがひどくて横になっている時間も多かった。総合で30点

●本日撮った写真…8枚

累計 フィルム約638枚・デジタル471枚