アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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Photo No.376 / 何もできない自分、という無力感と闘う

ライカM4 インダスター22 自家現像

Leica M4 + INDUSTAR-22 50mm F3.5

こんにちは。今日も一日お疲れ様でした

今日は起きたら8時半過ぎでした。それからコーヒーを飲んで、軽くウォーキング。帰ってきてからはコーヒーの焙煎をして、あとはぼんやり過ごしていました

自分は何もできない、秀でた才能もない、心の病気で仕事もできなくなってしまった。これからどうすればいいのか、何も考えられない状態

でも、そう考えてしまうのは、自分の過去や自分の理想とする自分がいるからなんだろうな、と思いました

過去にそれこそ会社に泊まり込んで仕事をするくらい頑張っていた自分。そんな遠い昔の記憶に囚われて、いろんなことが「出来ていた自分」と比べて「今の自分」のふがいなさを感じてしまっているのだろう

こういうことなら得意、こういうことなら人よりも頑張れる、そう思ってみても、現実には50代での就職というのは非常に困難で、スタートラインに立つことすらできない。やらせてもらえば必死で頑張るのに、と思っても現実的には困難なわけで、自分は社会から必要とされていない人間なのだ、と感じてしまう

この「過去の自分と比べていろんなことができなくなっている自分」と、「社会から必要とされない自分」というのが重なって自分をさらに追い詰めているんだろう

でも、よくよく考えてみるとこの「過去の自分と比べて」というのは意味のないことですよね…。その当時は病気じゃなかったわけだし、今とは全然状況が違うのだからそもそも「比較」することに意味なんかない。今の自分と過去の自分はつながっているけど違うもの、と考えないと、いつまでもそこに囚われて「自分はダメだ」という気持ちになるのは良くないですよね

そして「必要とされていない自分」というのも、先日入院を伝えて来た友人からしたら必要と感じてくれたから連絡をくれたのだし、妻にも今のところは必要とされているわけだし、確かに会社社会からは今は必要とされていないかもしれないけれど、必要としてくれている人はいるはず

もっと大きな視点からいえば、モノを買うという行為だって、その店の売り上げにつながってその人たちのためになっているわけだし、必要とされていない、なんてことは、きっとないのだ、と思います

なんてことをつらつらと書き綴りましたが、実際そんな簡単に気持ちを切り替えられるわけもなく、今日ももやもやを抱えながら一日過ごしています

何か人の役に立つことがしたい。でも自分の精神力と体力が、まだ本調子でない以上、仕事はできないしただ休むしかできることはありません

いつか何とかこの状況から脱出したい。脱出したいけれど、焦っても今は無理なんです。無理なら休むしかない。なのにどうしてこうも胸がもやもやして不安感でいっぱいになるのでしょうか

いっそ消えてしまいたい。消えてしまえたら楽なのに。妻に迷惑だってかけているし、これ以上むなしい気持ちを抱え続けたくない

何をしていても満足感が得られない今の状況は、どう考えてもうつの状態です。ならば一番大事なのは「休養すること」なのに、心が休まらずにずっと不安で動悸が頻発している状態で、いったい自分はどうしたらいいのか、とずっと考えてしまいます

結局いつもと同じところにたどり着くのですが、現状から何とか抜け出せるように、今日もできるだけちゃんと休みます。心が穏やかになれるような何かを見つけてできるだけ休むことを心がけていかなければと思います

●今日のメンタルポイント

行動力30点。軽いウォーキングとコーヒーの焙煎ぐらいしかしていない。それでも昨日より少しだけましかもしれない。精神面20点。不安感と焦燥感が半端ない。ひとりで部屋をうろついたり落ち着けなくて何をしたらいいのかわからなくて、眠ることもできずにもやもやとした時間を過ごしている。総合で25点

●本日撮った写真…0枚

累計 フィルム約645枚・デジタル471枚