アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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転職にあたり思う事

今日はお休みだったので、一日何にもせずに過ごした

ずっとBump of chickenを聴きながら過ごした

考えることは山積みで、いったいこれからどうしたらいいのか

この年齢で新しい仕事が見つかるのか

当面の生活をどうするのか

そんないろいろを考えながら過ごしていた

けど、当たり前なのだけど、答えなんか出るはずもなく。結局は離職した直後にすぐハローワークに行き、まずは失業保険の手続きをして、仕事を探し始めるしかなく

単発のバイトを少し入れるのも大事かもしれない、などと考えてみたり

もちろん、失業保険の待期期間などもあるので、簡単にどうこうはできないのだけど、12月に入って離職票が出るのが13日以降になるだろうし、それまではどうとでもできる、と考えるしかなくて

結局のところ、堂々巡りをするだけなので、考えるだけ無駄なのかもしれないけれども、でも考えずにはいられなくて

ただ、少しゆっくりするのもありかもしれない、などと考えてもみたりする

それはせっかくいただいた人生の一休みの時間。ここをどう活用するかにかかってくるかと思う

失業して転職活動をする人は、すべからくこの堂々巡りとぶつかるかと思う

ただ、いろいろ考えるにあたって僕の考えなのだけど

「今の職場に残っていた場合、どうなっていたか」

を考えてみること

つまり、たとえば疲労困憊して仕事まみれの毎日を無為に過ごすのか?

そのなかで「やりがい」を見つけて粘るのか、その場合果たして精神的・肉体的に自分はやっていけるのか?

お金のために、毎日の生活のために働くのは、もちろん当たり前のことなのだけど、それで自分をすり減らしたらどうなるのか?

そのプラスマイナスというか、続けても得るものが多いのであれば続ければいいし、そうでないのなら、転職という決断をするのも大事だと感じる

僕の場合は「これ以上やれば精神が壊れる」と思ったし、事実壊れ始めていた

引き返すなら、今しかない

そう思った。生活の余力はほとんどないのだけど、そこで精神を病みすぎてしまうと、あるラインを超えると戻れなくなってしまう

心の病は、簡単には癒えない。それほどひどい傷を負ってまで続けるものがそこにあるのか?そこを天秤にかけるのは当然だと思う

こうやって自分に言い聞かせて納得させようとしている面ももちろんある。でも僕は過去にも同じような経験があり、その時は決断が遅れて、休職→退職→自宅療養と、長い時間を無駄にした

だから、今回は早めの決断をするに至った

組織に対しても納得いかない部分も多かったし、そもそも生活するのがやっとくらいの給料に対して仕事量はものすごく多く、このままでは人生をすり減らす、と思った

ここからは真綿で首を絞められるような不安が続くことが予想できる

つまり、一日過ぎるごとに「この一日は何の給料(収入)もない一日なのだ」ということを思い知らされる、ということだ

時間が過ぎれば過ぎるほど、そのじわりじわりとくる不安がつのってくるのはわかっている。でもその中で、自分を成長させる何か…例えば今までできなかったことをやるとか、自分の今後のために勉強できることはするとか、そういうものを得ることで、またひとつ自分の糧になるはずだ、と信じている

転職を考えている人は、そんなことを一度自問自答してみるとよいと思う

もちろん、生きることは大事なので、どんな決断をするにしろ「自分を第一に考える」ということが必要だと思っている