アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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Photo No.300

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Fujifilm X-E2 + MD ROKKOR 50mm F1.7

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こんばんは。今日も一日お疲れ様でした

9時半頃起き上がり、それから洗濯をしました。雨なので室内干しがいやだったけど、洗濯機に洗濯物がたまっていたので仕方なく

それから悶々としていました。本当に生活保護でいいのか、病気の悪化など無視して働くべきなのではないだろうか、ずっと頭の中でぐるぐるしていました。ハロワの求人票も何枚かプリントしてみました。月曜日に行ってみるかもしれないし、行かないかもしれない。妻はとにかく「ただただ休んで欲しい」と言っています。それでも、と思ってしまうのです。本当にこれでいいのか、実は別の道があるのではないか、と

でも答えは今の段階では、生活保護しかないのです。わかっているのです。これ以上無理をして働いたとしても、いずれ精神的に破綻して死を選びかねない。それにもう今月生活するぶんしかお金が残っていないのです。だとしたら、行政の力を一時的に借りるしか方法はないし、借金の返済もできなくなるので自己破産を選ぶしかないのです

わかっているのに、頭の中がぐちゃぐちゃでいろいろ考えてしまいます。一番は何度も書いているように、妻や妻の家族に迷惑がかかる、ということです。せっかくB型就労支援で作業をしている妻に迷惑をかけてしまうし、何もできない自分、って生きている意味があるのか、と自分を責めてしまいます。それに妻の家族にも迷惑をかけてしまいます。自分と結婚さえしなかったら、妻は生活保護など受けることもなく日常を過ごしていけたはずです。妻の妹さんにも扶養照会がいってしまいます。会わせる顔がありません。悔しさと恥ずかしさと情けなさで、自分が存在することに罪を感じてしまいます

ここ数年、うつの状態は寛解に近い状態だったと思います。失業し就職が決まらない事からの焦り、そして飛びついた障害者雇用の事務仕事で完全に悪化してしまいました。最初はそのことに気づきませんでした。しかし、ちょうど障害者雇用の仕事を辞めたい、と思い始めた2週間くらい前から、何をしても楽しさを感じなくなってきました。満足感を得られない。写真を撮っても心から楽しめない。現像作業はまるで機械のように無感情でやっていました。食事の味もあまり感じなくなったし、お腹がすいている、という自覚はあるのに食べたいと思わなくなりました。妻がいたから料理をしていたようなものですが、その料理すら単調なものになり、なんの楽しみもなく料理をしていました。妻が話すことにも気持ちが集中できず、無感情になっていきました。妻も妻の家族もその異変に気付いていたようですが、本人が無自覚でした

そして障害者雇用の会社を辞める決断をしたときには、もう戻れないほど悪化していました。心の病は悪化するときはあっという間なのに、寛解に近づけるためには長い時間を要します。それがこの病気の苦しいところです

何も考えずにただ休まなければならないのに、心が休まりません。不安感と焦燥感、悔しさと恥ずかしさと悲しさと虚しさ。ネガティブなものばかりが自分のなかにたまっていき、胸が締め付けられるような苦しさをずっと感じています

今日はそれでも、家事が少しできたじゃないか、と自分に何とか言い聞かせています。でもやっぱり、苦しいです

ただ、今の自分には心配してくれる人がいるから、何とか持ちこたえています。このさい、月10万円でもいい。それだけ稼げれば生活保護はほんのいっときしか受けなくてすむかもしれない、と思うと何とかならないか、と思ってしまいます。どちらにしても、借金の返済が重くのしかかっているので自己破産は免れないと思います。でもそれで生活していけるのであれば、ほんの少しの稼ぎがあれば、と思ってしまいます

●今日のメンタルポイント

行動力30点。家事を少ししたくらい。精神面10点。頭の中がずっとモヤモヤして胸がざわついて不安感と焦燥感で動悸と過呼吸がひどい。それでも何とか自分を保とうと薬を飲んでいるけれど、全然軽くならない。中途覚醒は1回。総合で20点

●本日撮った写真…0枚

累計 フィルム約56枚・デジタル212枚