アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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Photo No.1135 / 一番眩しいあの星の涙は 僕しか知らない

オリンパスPEN Fにて撮影 モノクロ 自家現像 D-23現像液

OLYMPUS PEN F + G.Zuiko Auto-S 40mm F1.4 / ARISTA EDU ULTRA 100

こんにちは、今日も一日お疲れ様でした

過眠でした

昨晩眠りについたのは3時過ぎくらい。そのあと6時に中途覚醒してからほぼ一時間おきに目が覚めるも寝続けて、結局起き上がったのは11時半過ぎでした

その後、内職を進めようとするも、今日は特に仕事が降ってこない…。ということで、内職はちまちまと進めるけれど今日はのんびりモードで

そういえば、昨日現像したキヤノンFTbの写真は、全体的に露出オーバーでした。一応生きている露出計ですが、電池の電圧の関係でオーバー気味になることを忘れていて撮影してしまっていました。使える写真がものすごく少ないことにがっかり

うむむ、むしろ露出計に頼らない方がいいんじゃないか。まぁ、本来ならば単体露出計があれば一番なのだろうけど、スナップ撮るのにいちいち露出計で、というのも本末転倒な気もするから、やはり脳内露出計を鍛えるのが一番なのだろうと思います

今日は精神的に少し落ち気味で、起きてからもいまいち気分があがらない状態です。不安感・焦燥感も強め。土日なのに休んでいることに罪悪感を感じてしまい、何かやらねばと今日も内職をやったり家事をやったり…常に追い詰められている気がしてなりません。もう少し心の余裕を持てたらいいのですが…

「ちむどんどん」に思う

正直、今回の朝ドラ「ちむどんどん」はちょっと楽しむのは厳しいかな、と思い始めています。一応観ることは観ますが、仕方なく? という言い方もおかしいけど、観始めたのだから、という感じです

最初から嫌な予感はしていたのですが、分析すると最大の理由はストーリーを展開するために「偶然」を使っていた点です

以下、まだ録画して観ていない人にはネタバレを含みます

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昔、D・クーンツ氏の「ベストセラー小説の書き方」という本を愛読していていました(趣味で小説を書いていたこともありました)。今、段ボールに入って押し入れにあるのでちょっと取り出せなくて、ネットで目次情報だけ探しましたが、この本のなかでも「物語を複雑にするための偶然の一致は避ける」ということが書かれています

この本に書かれていた「偶然」の使用法とちょっと違いますが、ちむどんどん、今週の展開では「偶然」が多用されていました

なぜ偶然を使うのが良くないかと言うと、自分が思うに、作者のご都合主義というかそういうものが見えて「創作」としての展開が台無しになってしまうからかな、と思います。要するに「偶然」を多用すれば、どんな不可思議なありえない出来事も全てOKになってしまうし、物語を引き伸ばすことも短くすることも(原稿用紙枚数調整が)簡単に出来てしまうのです

今週の「ちむどんどん」で言うならば

兄を頼りに上京(なんの計画もない)

→兄が行方不明でどうしよう

→ちっぽけな情報を頼りに横浜市鶴見区へ兄を探しに

→雨宿りしたら「偶然」近くから懐かしい三線の音色が

→その家に夜分にお邪魔したら「偶然」その人が沖縄の県人会長

→どうやらその人と暢子の父親が知り合いらしい

→なんと親切で職場を紹介してもらうが「偶然」上京初日に入ったレストラン

→レストランのオーナーもどうやら暢子の父親と知り合いらしい

→紹介してくれた下宿は1階が沖縄料理店で、二階に「偶然」空き部屋

→「偶然」その店に兄がやってきて兄妹の再開、抱擁

と、こんな流れ

今週の話でいくと、もし雨宿りしたところがその家の近くじゃなかったら、三線を弾いていた人が県人会長さんじゃなければ、そもそもその夜に彼が三線を弾いてなければ、物語はまったく先に進まないわけです。まさに「偶然」に頼ったストーリー展開

そして下宿先が沖縄料理店じゃないと、東京でのシーンで沖縄らしさが出ない。下宿先が飲食店だから、兄も立ち寄って兄妹の再開ができたなんて、まさに偶然の産物。なんだか「沖縄本土復帰50年記念作品」として上っ面だけ無理矢理「沖縄」にこじつけている感じがあります

物語を進めるには、各登場人物がちゃんとした理由があって行動した結果でないとおかしな事…何でもあり、になってしまいます

横浜市鶴見区という、漠然とした情報で兄を探しに行って、ピンポイントで県人会長さんの家のすぐそばに雨宿りするなんて都合のいい偶然があるでしょうか? しかも親切で一晩泊めてくれたり、職場や下宿を紹介してくれるという…

また「ちむどんどん」では、描かれていない部分が多すぎるというのも、全体的にすっきりせずいまいちな理由のひとつ。暢子の姉に言い寄る社長の息子は、そもそもなぜどういういきさつで結婚を申し込むほどご執心なのか? かつて暢子がフレンチトーストやナポリタンを知ったいきさつは? 借金の話はどうなった? 兄は本土にどうやって渡ったの? とか、とにかく物事が突然降ってくる感じというか、「こういう設定になってますんで視聴者の皆様ご理解ください」と言わんばかりに話が展開している感じ。前述のクーンツの書でも「背景の細部をごまかすべからず」との項目があります

また、目上の人に対してでも沖縄の方言丸出しの大声で「元気いいでしょ」といわんばかりに話したり「元気な明るい女の子」をどうしても表現したいらしいけど、その演出が過剰すぎて、観ていて沖縄の方言が痛々しく感じてしまうときもあります

前作「カムカムエヴリバディ」ではきちんと描かれていた物語の背景や登場人物の心情だったり、そういったものがそぎ落とされている感じです

カムカムだと、安子が大阪でるいを育てていたことも、るいが安子に「I hate you」と言った理由も、その後アメリカに渡ったことも、るいが雉真の家を離れ大阪に行くのも、ひなたが英語を勉強していく過程も、とにかく全て「この人物ならこういう行動をとるだろう」の結果としてストーリーが展開していきました。物語に「偶然」はそれなりにあったけれど、それが「ストーリーを進ませるため」に使われた場面は多くなかったと思います

しかし、ちむどんどんではそういうものがなく、作者の都合に合わせて登場人物が動いている感じ。それが何よりがっかりポイントなのです

登場人物は、その性格設定までしっかりやって、そのうえで「この人物はこういう場面ではこういう行動をする」というのが視聴者にも違和感なく伝わるようなものでなくてはならない、というのが、クーンツの書籍で解説されていたように記憶してます

突拍子もない行動をとったりとか、偶然こんなことが起きて…でストーリーが展開するのは、ちょっとどうかな、と…

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今日の振り返り

●今日できたこと

内職
洗濯

●今晩の予定

晩御飯の準備
ドラマ(国内・海外)を観る

●今日のメンタルポイント

行動力60点。洗濯と内職ちょっとしかできなかった。精神面50点。過眠の症状で起きたのが昼近かった。今日は天気が悪いのも関係あるのか、だるさが強くて不安感・焦燥感も強め。罪悪感もあり、ふと希死念慮がよぎる。何かに追われているような感覚がずっとあって、ざわざわ感も強かった。土日なんだからゆっくり休めばいいのに、と思うのに、それができない辛さ。せめて平日もっと頑張って何かしらできれば、土日くらい少しは本当の意味で休めると思うのだけど。総合で55点

●本日撮った写真…0枚

累計 フィルム約1029枚・デジタル578枚

www.studiohonwacca.com