アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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「ジャングルジム」の歌詞を考える

Bump of Chickenのアルバム「aurora arc」に収録されている曲のひとつ「ジャングルジム」。この曲がとても好きです

最初は「地味な感じ、静かな感じ」で、バンプらしい力が弱いかな、と思ったのだけど、聴けば聴くほど、じわりと心に染み込み、ものすごくバンプらしい曲だと感じるようになりました

そこでこの曲の歌詞について、自分なりの考察をしてみたいと思います

 

ジャングルジム/Bump of Chicken(作詞作曲・藤原基央

 

ここまでおいでって言ったのが 遠い昔の事みたいだ
灯りのついた公園で ジャングルジムの中にいたよ

皆の前じゃいつも通り おどけてみせた昼の後
一人残って 掌の鉄の匂いを嗅いでいた

 

子どもの頃、友達と遊んだ記憶をたどるような歌詞の始まり

暗くなるまでみんなで遊んで、でもジャングルジムのなかにいるのは自分だけ

「皆の前じゃいつも通りおどけてみせた昼の後」

という歌詞からもわかるように、それは本当の自分じゃなく、ある意味「みんなに合わせて楽しんでいるようにみせかけていた自分」がそこにいます

そして暗くなった公園で一人「掌の鉄の匂いを嗅いでいた」自分がいます。それが本当の自分なのかもしれません

周りには誰もいない。ただ自分だけがいて、世界に自分だけのような気がしてくる。そんな象徴が「掌の鉄の匂い」なのかもしれません。自分が今感じることだけが、現実。そんな感じ


帰ろう 帰ろう 遠くで歌っている

その日 僕を見ていたのは 欠けた月の黒いところ

 

もう帰る時間になって、でも帰れなくて、そんな自分を見ていたのは「欠けた月の黒いところ」

これは自分自身の心の内側、人に普段見せない自分自身を表しているんじゃないかな、と思います。友達の楽しく遊ぶ自分じゃなく、その内側にある孤独に浸りたい自分


あれから大人になった今 色々忘れた顔をして
たくさんの知らない人達と レールの上で揺られる

 

ここで子供の頃の記憶と対比するように、今の自分の情景にうつります

「色々忘れた顔をして」今までの辛い事や楽しい事、そんな全てが遠い昔の過去で、思い出すこともない

「たくさんの知らない人達とレールの上で揺られ」ています。現実の自分は満たされるものがなく、自分自身を押し殺してただ同じ日常を繰り返すだけの毎日。電車に揺られながら、自分はなぜこうしているのだろう、と自問自答しているようにも感じます


行きも帰りも大差ない 自画像みたいな顔をして
転ばないように掴まって あるいは座って運ばれる

 

「自画像みたいな顔」は、まさにそのことを例えています。ただ過ぎる日常の中に飲まれていく人々。電車に揺られ、ただ移動していく。立っている人も座っている人も「運ばれる」姿は、自分の意志で移動しているというよりは、そうさせられている、つまり社会の枠組みのなかで本当の自分を隠して生きていかなきゃならない、そんな姿を表現しているように思います


ガタンゴトン ガタンゴトン 繋ぎ目を越えてゆく

隣の他人が最後に泣いたのは いつ どんな理由

 

「繋ぎ目を超えて」いきながら、ガタンゴトンと一定のリズムで揺られながら、そうやって「本当の自分の夢や希望を押し殺しながら」運ばれていきます

そんなとき、ふとこの曲の主人公は考えるのです「隣の他人が最後に泣いたのはいつどんな理由」なのかと

みんな無表情…自画像みたいな顔をしているけれど、その一人一人に人生があって、そこには喜びや悲しみ、怒りなどいろんな感情があるはずです。主人公はそのことに想いを馳せます


例えば最新の涙が いきなり隣で流れたとしても
窓の外飛んでいく 電柱や看板と同じ

 

そんな隣の人が、もし隣で涙を流すような事があっても、つまりそんなふうに心に傷や悲しみを抱えていても「窓の外飛んでいく電柱や看板と同じ」、結局その人の心の中は永遠に理解できるわけではないし、それは突き詰めていくと窓の外の景色と同じで、自分とはなんの意味もなくただ過ぎていく景色の一部に過ぎないもの。自分がどうにかできるものでもないし、やはりただ自分が乗り合わせたこの電車で、たまたまそこにあったもの、でしかない無力感というか、無意味なものと同じ


それでもどうしてだろう つられて泣いてしまいそうな
名前もわからないのに 話も聞いちゃいないのに

 

だけど、そこに主人公は共感したい気持ちを抱いています。そんな気持ちが伝染してくるのか、辛い悲しい気持ちの自分と重ね合わせ、自分も思わず悲しい気持ちを抱きます。隣にいる人の名前も知らないし、その人の話を聞いたわけでもないのに、心がつながって伝染するかのように、気持ちを揺さぶられます 


誰から見ても取るに足らない だからこそ誰にも言えない
そんな涙ならきっとわかる あぁ そう これは ただの例えばの話

 

その理由が、次の歌詞にあります。隣の誰かが涙を流したとしても、それはその人の心の中の問題であり、それは他の人にとっては「取るに足らない」ような辛さや悲しみなのかもしれない。だからその人は誰にも言えず涙を流すのだろう(流してはいないのだけど)

そしてもし流れた涙がそんな理由の涙なら、「きっとわかる」と続けます。なぜなら自分も同じように辛さ悲しさを抱えて毎日を過ごしていて、でも誰に相談してもどうにもならないことで、自分自身で消化していくしかないことだから。だからこそ「もし隣の人が涙を流した」なら、その気持ちや辛さには寄り添える気持ちを主人公は持っています。でも、続きます「あぁそうこれはただの例えばの話」だと

実際には隣の人は涙を流していないし、何も辛い事も悲しい事もないかもしれない。でも主人公はそんな感情を胸の中に持っていて、そういう感情を抱いてしまうけれど、これは「例えばそうだったとしたら」の話で、実際には起きていない事で、ただ主人公がそんな辛さを今抱えている事を婉曲的に表現しているのかな、と思います


ガタンゴトン ガタンゴトン 静かに続いている
ガタンゴトン ガタンゴトン 繋ぎ目を越えてゆく

 

そんな思いを抱く中、電車はただただ時間通りに進んでいきます。淡々と疲れた人たちを乗せた静かな電車の中で、電車はリズミカルに繋ぎ目を超えて、ただ進んでいきます。これは電車を「人生」にみたてているのかな、と感じました。繋ぎ目は人生のちょっとした躓き。ちょっとした出来事。そんなことを揺れながら超えていき、人生という時間は続いていくのです


ここまでおいでって言ったのが 遠い昔の事になって
あの日遊んだ友達の 名前も怪しくなってきて

どんな時でも笑えるし やるべき事もこなすけど
未だに心の本当は ジャングルジムの中にいる

 

昔ジャングルジムで遊んでいたあの頃。もう遠い昔の話。自分を押し殺し、周りの友達に合わせて楽しんだ「ふり」をしていた自分。そんな過去のことだから、一緒に遊んだ友達の名前すらあやふやで思い出せない。そんなふうに時間は過ぎてしまった。電車で目的地に運ばれるように、淡々と時間は過ぎてきた

今、仕事に追われ、日常に追われ、「どんな時でも笑える」ように、あの頃と同じように人に合わせて過ごし、「やるべき事」の仕事もこなして無難な毎日を過ごしている。当時と同じように「本当の自分を押し殺して」ただ過ごしている

でも、そんな自分の「心の本当はジャングルジムの中にいる」。ジャングルジムの中、は自分自身の心の本当の奥底。当時から押し殺していた自分自身の本当の心。ここでジャングルジムの「中」と言っているのは、もしかしたらいろんな意味で「ジャングルジム」の外側が自分の本当の心を頑なに守っているのかのしれません。表面はジャングルジムの外側。いわゆる外面というやつで、職場や友達の前で見せる姿は、ジャングルジムの外側。でもその囲まれた内側には、本当の自分がそこにいるのかもしれません。本当の自分はジャングルジムの内側に隠しているのです


帰ろう 帰ろう 遠くで歌っている

ここから出たらいつも通り ありふれた一歩目を歩く

 

そうして「帰ろう帰ろう 遠くで歌っている」のフレーズを境に、現実に戻ります

「ここから出たらいつも通り ありふれた一歩目を歩く」そう、日常は続いていくし、どんなに辛かったり悲しかったりしても、運ばれてきた電車から降りたその一歩目から、今まで心の内側で考えていた全てから離れ、いつもと変わらない、何の変哲もない「いつもの一歩目」が始まるのです。 どんな想いを抱いていようとも


欠けた月の黒いところ 欠けた月の黒いところ

 

そうして、また「欠けた月の黒いところ」のフレーズが二回続きます

欠けた月は、自分の内側の部分。人に見せない自分。それは変わらず自分の中にあって、でも日常は続きます。月の明るい部分を、自分の表に出ている部分はみんな見ているけど「欠けた月の黒いところ」は、やっぱり誰にも知られないままです。でもこのフレーズが二回続いているのが僕はとても好きで、僕は「欠けた月の黒いところ」つまり自分の内側の隠している部分、見えていない部分も、自分という人間を形作る大事なものである、ということを強調しているのかな、と感じました

それはやはり、藤原さんがいつも「弱者に寄り添う歌詞」を書く人であり、見えていない(見えにくい)部分も含めて「その人」であり、それが生きるということで、だからこそそんな自分をそのまま受け入れていいんだ、と思わせてくれる気がします

 

あまり深くない考察で、いろんな意見、異論のあることなのですが、こうやって僕はいつもバンプの曲に自分なりのかたちで「寄り添って」過ごせたらいいなと思っています

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今日のメンタルポイントは75点。どうも薬の副作用なのか、頭がボーっとしすぎる感じがあります。多少のイライラ感、不安感はあるものの、それほどでもなく、ただぼーっとした感じ。これが結構つらい。落ち着くといいのだけれど