心のモヤモヤ感をどう消すか? これは簡単なようで難しい
実際、今日はずっとモヤモヤしっぱなしだった
何をする気にもならず、とりあえず水槽の掃除をしてみる。が、なんというか、ただの「作業」として終わらせた、という感じで、何か充実感のようなものもなく、無感情で終わらせた。いつもなら、水草の様子、なかの熱帯魚の様子など、あれこれ注意してみるところを、何もせずに淡々と
ベランダの片付けも、最近はヒヨドリがやってきて葉物野菜を食べてしまうので、一度抜いてラディッシュの種を蒔いてみた。でも、いつもなら丁寧にやるところを、とにかく早く終わらせよう、という感じ。まあ、外が寒いのもあったのだけど、かなり雑な作業になってしまった
そして、仕事ができないのでLINEのスタンプ作りでも、と思うのだけど、結局ひとつも作らずに一日が終わった
何もかも適当。無感情で淡々と
そうして、結局モヤモヤだけが残って、居所の悪いココロが生まれてくる
ゲームをしてもダメ、テレビをみてもダメ、音楽を聴く気にもならない。いわゆる「無気力」というやつだ
ただ、時間が過ぎるのを待つ
このモヤモヤをどう消せばいいのか
実は答えのひとつはわかっている。一番簡単な方法は「寝逃げ」なのだ
寝てしまえば、もうあとは時間が勝手に過ぎてくれる。眠剤を飲んで寝てしまえばいい。それでモヤモヤを抱えた時間をやり過ごせばいい
ただ、これを続けると、生活のリズムがおかしくなる、というデメリットがある
昔はどうにも無気力で仕方なく、ほぼ2日間、トイレの時以外ずっと寝ていたこともある。でもそんなのは、もうやめにしたい。だから、寝逃げせずに済む方法はないものか、と模索してしまう
お酒もたばこもやらない。ジョギングするにも体力が落ちすぎていてどうにもやる気が起きない
もういっそのこと、終わらせてしまえばいい、と思う事は何度もあった
だけど、Bump of Chickenの曲の歌詞にもあるけれど
わざわざ終わらせなくていい
どうせ自動で最期はくるでしょう
その時を考えても意味が無い
借りてきた答えしか出てこない
(モーターサイクル/詞・藤原基央)
ほっといても終わりは来る。ならそのままでいいじゃないか、と
実際、自分の命を終わらせようとしたあの日から10年以上たった今、ひどい出来事は山ほどあってどうしようもない絶望感に苛まれたこともあったけど、生きててよかった、と思えることは、多分それ以上に多かった
辛いことがあっても、それは続かない。いや、続くかもしれないけれど「ずっと悪い事ばかり続くことは、ない」というのが正しいと思う
だから、今感じているようなモヤモヤも、とりあえず乗り越えるしかないな、と思う
その先に、もしかしたらずっと先かもしれないけれど、何かいい事が待っているはずだから