アラフィフいろいろありすぎ

精神の病を抱えて人生の道を彷徨うアラフィフ。中年アラフィフが何をどこまでできるのか

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Photo No.382 / 今自分に出来ること

ライカM4+インダスター22にて撮影 自家現像

Leica M4 + INDUSTAR-22 50mm F3.5

こんばんは、今日も一日お疲れ様でした

相変わらず調子が悪いです。今日は8時半頃目が覚めてもいつもと同じように起き上がることができず、結局11時近くまで横になっていました

軽くウォーキングに出たものの、調子が悪くてすぐに帰ってきて、やらなきゃいけなかったコーヒーの焙煎をしました

今日は好きな海外ドラマも集中して観られないので、ぼんやりと過ごしていました。薬を飲むとエビリファイを断薬したときの離脱症状のような、ふわふわした感じになって気持ち悪くなり、しばらく横になりました

つくづく「今自分に出来ることってなんだろう」と考えてしまいます。寝て起きて、食べて、消費するだけの自分。生産性のない現状。それでもコーヒーの焙煎をしたりパンを作ったり、食事の準備や後片付けをしたり、掃除洗濯をしたり、家事はしている。でも何も生み出していない

今日もモノクロ現像できなかった。やろうと思っていたけど、やはり心がついてこなかった。何もできない自分が悔しくて苦しくて、胸が詰まる思い

いつになったらこの暗いトンネルから抜け出せるのか、まったく先が見えなくて不安と焦りで動悸がひどくなって横になる、というのを繰り返しています

今日も「反応しない練習」を読んでいます。

その一節を引用しますが

 

人が苦しみを感じるとき、その心には必ず「執着」があります。本来心は、サラサラ と流れつづける小川のように、苦しみを残さないはずなのに、執着ゆえに、滞り、苦しみを生んでいるのです。

苦しんでいるのが、自分であれ、相手であれ、誰かが苦しんでいるなら、何かが間違っ ています。

「このままではいけないのだ」と、目を醒ましてください。

ブッダの考え方にてらして、こう考えましょう。

「かなわなかった過去の願い」が、苦しみを生んでいる。

「失敗した」(こんなはずではない)という判断が、苦しみを生んでいる。

「相手はこうでなければ」という期待・要求が、苦しみを生んでいる。

これらの「執着」を手放さなければーーでないと、自分も相手も、苦しみつづけてしまう。「反応しない練習」より

自分が心のなかで作っている「判断」「決めつけ」「思い込み」は、頭の中にしか存在しないもので「妄想」に過ぎない。この妄想に過ぎない「判断」に執着して自分や相手を苦しめることから自由になろう、ということですね

考えは理解できるのですが、この考えに心がついてくるようになるまでにはかなり時間がかかりそうです

この心の滞りを何とかできれば、と思うのです。自分の場合だと「生産的なことが何もできていない」「何もできていない」「生きている価値があるのか」という思い込み、判断だけど、これも過去の経験、つまり「仕事を人並み以上に出来ていた自分」「頑張って稼いでいた自分」「どんどんいろんなことにチャレンジしていた自分」というものと比較して、自分のなかで「何もできていない」と判断して苦しんでいるわけですね。この「判断」に心のなかで知らず知らずのうちに執着してしまっているから苦しくなってしまう。だからこの「判断」を手放さなければ、ということです

正直、言うのは簡単だよね、と思います。そんな簡単にできるならこんなに苦しまずにすむのに、と。でも、この考え方を心の中で「癖」として身に着けてしまえば、今自分を苦しめていることから抜け出せるのかもしれません

いわゆる認知行動療法と似ていますが、こういう時にこう考えてしまう、という癖に自分で気づき、そうじゃないんだ、と自分に何度も繰り返し覚えさせることで、そこから抜け出そう、ということです

何とか抜け出せるようにいろいろ試行錯誤していきたいです

●今日のメンタルポイント

行動力20点。コーヒーの焙煎と家事を少しだけした。精神面30点。不安感や焦燥感がひどく、動悸も激しかったのでしばらく横になって過ごしてしまった。普通の日常生活が送りにくくなっているので何とかしなければ。総合で25点

●本日撮った写真…3枚(フィルム)

累計 フィルム約650枚・デジタル471枚